2015年05月19日

【伊400】依佐美送信所記念館に行ってみた【アルペジオ】

依佐美(よさみ)送信所記念館に行ってきました。

艦これはプレイしていませんが、パパは「蒼き鋼のアルペジオ」の大ファンだし、近場だしで、オタク夫婦の連休のお出かけにぴったりでした。「歴史秘話ヒストリア」で伊400型潜水艦も取り上げたしなっ。


寸詰まりな感じになって残された鉄塔


ここ最近、巨大建造物が見たくてしょうがない∈(・ω・)∋ダム-



幼い時から、見晴らしの良い所で刈谷方面を眺めると目に入った、通称「刈谷の鉄塔(電波塔、通信塔)」こと、依佐美送信所の電波塔群。

依佐美送信所公式サイト

高さ250mの塔が8基、日中でも遠目に、夕方になると(岡崎市から見ると刈谷は西側なので)夕映えに直立するシルエットや、航空障害灯の点滅が見えたのが思い出されます。故郷の原風景のひとつです。

見える大きさや方向で、自分の位置情報を概ね測ることができたのですが、撤去された今、それができなくなって不便をかこつ年配者は多いです。かくいうオバサンもその一人。長らく刈谷のランドマークとなっていました。


コイルハウスだそうな

以前(と言っても昭和の頃)、ドライブついでに近くまで行ったことがありますが、米軍管理下だったからあんまり近寄れず、田畑の間に鉄塔とコンクリートの四角い建物が見えました。


レトロ建築ファンの心をつかむ本館


アールデコ風の本館玄関のステンドグラス


「ロングウェーブトランスミッティングシステム」ってのがクラフトワークっぽい

お隣の安城が、かつて「日本のデンマーク」と称されたぐらい大規模開墾が行われていましたが、この辺り、ひたすら平坦で広い。周りに障害物が無くて、通信アンテナを設置するのに大変適した土地柄です。

明治大正期、国の発展とともに諸外国との外交通商において、高速で大量の情報のやりとりを重要視した政府によって、ここ愛知県依佐美村に、欧州向け無線通信送信所の建設設置が決定され、1929年(昭和4年)から運用開始されました。(対米国の通信施設は福島県に設置された)

2年の年月をかけて完成したものの、既に時代は通信速度の速い短波!で、急ぎ短波アンテナも設置。時代遅れ感のあった長波通信ですが、水中に届く特性により、潜水艦への通信に使えるということで、日本海軍の重要施設となりました。


技術的なことはサッパリだが見るのは楽しい


意外に小さかった塔の台座部の鉄球




名古屋のテレビ塔のような自立式鉄塔とは違う支線式塔


発電機がいっぱい


木部のペンキは塗り直したっぽい


公式サイトにもありますが、真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ 一二〇八(ひとふたまるはち)」は、依佐美から発信されたと伝えられています。潜水艦へは超長波で、連合艦隊旗艦長門へもここから短波でということなのかな?(長門へは船橋の行田無線塔から発信等諸説ある)


地元の公園には戦艦長門の副錨がある

「ニイタカヤマノボレ刈谷の鉄塔から」説については、映画「トラ・トラ・トラ」が公開された1970年頃に結構話題になって、父か伯父に聞いた記憶がある。小中学校では、地元の戦跡や空襲について教師は一切教えてくれなかったです。(教えるのは原爆とひめゆりの塔ばっかり) 高校になってから旧制高校出のおじいちゃん先生が、従軍した際の話を色々してくれました。



モノクロ撮影したら昭和モダニズムなハナヤ勘兵衛風フォトになりそう


後に部屋として仕切られた運転操作板もほぼそのまま残っている


アナログメーター厨、コントロールルーム厨歓喜!

広さは元々あった送信所に比べてかなり狭いそうですが、歴史的背景を知ると見応えがあります。案内ボランティアの方がおり、(どっちも地元人だから雑談しがてら)説明を受け見て廻りました。


壁貫通碍子、建物の外にもニョッキリ出ている

個人的に、古い計器類、誘導加熱の防止と絶縁体として「木(樫)」が使われた発電機やコイルが、ゲーム「MYST」を髣髴とさせてwktkします。


京都の琵琶湖疏水記念館もMYST的オススメスポット




直径3mのローディングコイル


真空管式送信機に使った大電力出力用真空管。デカい。

当時のモノクロ写真は、(今でこそレトロな味わいですが)日本の最先端科学の粋を凝らしたメカニック!亜細亜の曙東亜の鉄人!って感じです。




脳内BGM「改造への躍動」(ゲルニカ@戸川純)


電流計


戦後は米軍に接収され、ワリと最近・・・日本に返還される1994年(平成6年)まで、潜水艦用通信施設として利用されていました。


米軍接収時の本館


立ち入り禁止看板


米軍の日系兵士が翻訳したのだろうか、「妨害」の漢字が間違っている

そのせいで、東西冷戦の頃は、「ここは米軍の重要施設だから、核攻撃の標的になる!三河ヤバイ!!!」と言われてました。原潜が横須賀に入港した時には、反対派の人々が来て、人間の輪を作ったという新聞記事も覚えています。今は皆沖縄(辺野古)に行っちゃったのね。


これ(航空障害灯)が夜になるとピカピカ見えてたのかー


米国海軍部隊の紋章盾


「米国海軍の錨+鳥居+電波」のイカしたデザイン


返還後、鉄塔は1997年に、送信所の建物は2006年に解体撤去されましたが、高周波発電機を始めとする各種設備は、貴重な産業遺産として、記念館を建てて移転保存されたんだそうな。今なら軍艦島みたいに世界文化遺産として、原形保存の声がもっと高まっているかもと思うと、建物と鉄塔の撤去はとても惜しまれます。


現役感のあるアンテナ設置装置


整理整頓清潔清掃というトヨタのカンバン方式を思い出させる工具類


依佐美無線敷地補償組合沿革の碑
電線で農作業が大変な上鳥害も多く、陳情の結果補償金が支払われるに至った





送信所の跡地は今、記念館と公園(フローラルガーデンよさみ)になっています。


ぱっと見、こっちが記念館だと思ってしまうが、中はカフェや温室


ちゃんと8本

公園には送信所を模した建物や、鉄塔風のガーデントレリスがあります。ちびっ子に人気のミニSLのレールの長さが、送信所に因んで250mというビミョーさ。(別に鉄塔の廃材をレール材料にした訳では無い)


オサレなカフェ飯


ボリジ(和名ルリヂシャ)の花、イングリッシュガーデンっぽくハーブが色々植えられている


記念館前のモニュメントは、2号塔のてっぺんと基部を合わせたもの(1/10サイズの25m)で、他の鉄塔が建っていた場所は目印でしょうか、木が2本植えられ、田んぼの中にまーるい跡のある空き地になっていました。


以前は(建築中の家の)向こうに跡地の木が見えたそうな


資料館ジオラマ



幅500mで2列、480m間隔に4基ずつ並んでいたそうで、とりあえず2箇所廻ってみましたが、帰宅してGoogle Earthで確認したら、同じような跡地が、7箇所規則的に並んでいました。


円形の跡地前に木が2本植えられている


向こうにも木が2本見える

ストリートビューでも見ることができました。

周りは急速に宅地化しており、ここもそのうち家が建てこんで、記憶とともに埋没してしまうんだろうなあ。


対欧無線通信発祥の地」の記念碑もあるそうですが、場所がわかんない。記念館に戻って警備員さんに尋ねたら(ボランティアの方はお昼の休憩で不在だった)、何の事はない駐車場の手前。公園マップにも載ってないし、記念館にも場所説明が無いので、一考を要します。


道路脇の茂みにひっそりとあって、来る時通ったが気が付かなかったw


1989年に電気通信学会などが建立した


IEEE(電気電子工学技術の学会)のマイルストーンの認定の碑も隣に
関係無いけど「アイ、トリプルイー」という読み方がカッコイイ!「アイエエエ!」ではナイ



道の向こうにソーラーパネルが見える


多分ここも元送信所の敷地

公園の道向こうは、電気興業の太陽光発電所となっています。

海外との無線通信の充実を目的に、大正14年に設立された国策会社「日本無線電信株式会社(後に国際電気通信株式会社)」が、電気興業の前身なので、会社HPには、依佐美送信所の歴史がバッチリ記されていました。

電気興業株式会社HP・依佐美送信所の歴史

岡崎市東公園の戦艦長門の副錨ルポはこちら

電気電波の守り神、京都の「電電宮」のルポはこちら



追記

電波を発信するアンテナを保持する役目の構造物が電波塔ですが、昔のアニメ(鉄人28号辺り)や漫画で、「ピピンピーンピピン…」というモールス信号音と共に、塔から電波が発信される絵面を良く見たせいで、「鉄塔そのものが電波を発信する」と長らく誤解していました。

鉄塔間に貼られた4本の吊架線に、逆L字に16条のアンテナが吊り下げられていたと言われてもピンと来ず、やっぱり「塔のてっぺんからピピンピーン(もしくはビビビビ)」というイメージが頭に浮かんでスイマセン。


こういうイメージ




電波塔云々書いてたらこれが聴きたくなった。(色々アレな4だがクラフトワークっぽいこの曲は好き)

ロックマンエグゼ4 電波塔の電脳

  


Posted by いたのり at 19:43Comments(5)